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自分の思いを皆様にわかって頂くために、冒頭からやや独善的な表現になってしまいますが、 ご容赦ください。
私は、政治家がすべての政策について有権者の代弁者となる必要はないと考えています。世論の交通整理をするだけであれば、信頼性の高い世論調査の手法で十分です。
「知らしむべからず、由らしむべし」という言葉が本来の意味するところは、「国民にすべてを 知らせることは不可能である。信頼させることが大切である」というものです。
私は、最大限の説明責任を果たす努力をしてきましたし、今後も続けていきます。一方で、「国民がすべての政治テーマを的確に判断するべきである」というのも、政治家の傲慢な態度であると考えています。
政治にはある種の人物委任の要素があることは紛れもない事実なのです。私の理想は、有権者という制約を超えて国民の真の代表となり、未来を託される政治家
となることです。 |
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私は、今の日本には「健全なナショナリズム」が必要であると考えています。 以前、政治家は二種類に大別できたように思います。 過去の歴史、特に明治以降の歴史をすべて否定する政治家と、そのすべてを肯定する政治家です。それは、偏狭なナショナリズムと、ナショナリズムの全面的否定をもたらしてきました。
私の見解は、いずれとも異なります。今、求められるのは、反省すべき歴史は反省し、この国を愛して、未来を切り開く政治家です。政治家が健全なナショナリズムを持ち、国会で堂々と国益を論じることのできる時代をつくっていきたいと考えています。
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貸し剥がしに苦しむ中小企業と債務免除を受ける大企業、リストラにあう失業者と天下り先を渡り歩く中央官僚、年金不安におびえる国民と恵まれた年金を保証されている議員。大企業、官僚、国会議員を中心に組み立てられる理論や制度。これでは、地方の活性化は進まみませんし、一度経営に失敗したベンチャー企業の経営者には二度とチャンスは訪れません。
階級のない公正な日本社会の基盤は、根底から崩れようとしています。 国会議員のほとんどは二世か官僚で占められています。もちろん、二世にも官僚にも意識が高く、優秀な人はいます。しかし、このことが永田町を国民から遠ざけていることは間違いありません。私には、地盤(受け継いだ後援会)も看板(知名度)もカバン(資金)もありませんでした。立候補を決意したときに、父親からは、「トンビは鷹を生まないからやめておけ」と諭されました。選挙では、「どこの馬の骨か分からない」と言われながら、運と縁に恵まれて当選を果たしました。私は人生をかけて政治に取り組むことで、公正な社会の実現に尽くしていきます。
情熱と能力があれば、誰にでもチャンスが与えられる夢と希望がもてる社会をつくっていきたいと思っています。 |
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「なぜ、政治家になったのですか?」
政治家であれば、何度となく遭遇する質問である。候補者だった当時、ある日の朝刊に私の目は吸い寄せられた。高校生の夢を尋ねたアンケートの結果を載せた記事であった。
記事の論旨は、男子のトップは「公務員」、女子のトップは「女優」という好対照が興味深いというものであったが、私の目にとまったのは、「最もなりたくない職業」に男女とも「政治家」があがっていたことであった。冒頭の質問は、「なぜ、政治家になんかなったのですか」というのが世間の本音である。このイメージが変わらない限り、日本の政治は良くならないと思う。
私の初当選は、2000年6月の総選挙、28歳のときであった。地盤・看板・カバンのない落下傘候補であった私が当選するまでには、幸運と縁、そして苦難があった。民間シンクタンク研究員という職を捨て、乳飲み子を抱えて選挙にでる葛藤、「トンビは鷹を生まないからやめておけ」と断固阻止しようとした父親の説得、支援者との出会いと別れ、ツクシとタケノコを食べて貧乏をしのいだこと。それらを乗り越えることができたのは、政治家になるという決意と、実際になれるという明確なイメージがあったからだと思う。
私がはじめて「政治」を意識したのは、21歳の時である。盲目の弁護士の自叙伝を読んで感動した私は、修行僧のような浪人生活を経て法学部に入学したものの、1年も経たずに、法律の授業に関心が持てなくなってしまった。
それなりの苦労をして大学に入ったのに、これではどうしようもない。大学の外に目を向け、在日外国人の電話相談をしている団体の門を叩いた。バブルがはじけた直後、巷は多くの外国人、特にバブル時に入国ビザを発給した日系人が職にあぶれていた。日本語が話せないがゆえに、不当に解雇されても、労働災害にあっても泣き寝入りするしかない。不法滞在で就労している人の場合はもっと悲惨であった。
日本人のこと、彼らの母国との関係、行政の冷たさ、入国管理政策・・・、私の前には初めて知る厳しい現実が存在していた。当初は、自分も役に立っているという喜びがあったが、それはすぐに、問題を克服できない無力感に変わっていった。
「政治家になれれば」という漠然とした思いが明確なイメージに発展したのには当時の時代背景がある。政治家を意識しだした93年、日本新党ブームで多くの若い政治家が誕生した。横浜市長になった中田宏氏、民主党に所属している枝野幸男氏、京都では前原誠司氏・・・、国政に乗り込む彼らの姿は輝いて見えた。「俺にもやれるのではないか」この選挙を目の当たりにしなければ、私が本気で政治家を目指すことはなかっただろう。
そして、大学四年の冬、95年に起こった阪神淡路大震災の復興支援に携わる中で、日本の政治の貧困を痛感し、何としても政治家になろうという決意は固まった。
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